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したい表現ができるようになるためのレッスン

音楽を作っていく上で、「どう感じるか」ということはとても大切です。どんな曲にしていきたいかというイメージを作っていく。

同時に、技術的な側面として、「どうしたらその表現ができるようになるか」ということもとても大切です。

和音の中の一つの音を聴かせたい時

先日、湯山昭「お菓子の世界」の中の「ボンボン」をレッスンしました。この曲は、とてもおしゃれですてきなワルツです。

メロディーは子指で弾く。内声があって、そこを親指と中指で弾く。そんな部分があります。

どうしても、親指と中指のほうが力があるので、子指で弾いているメロディーが聴こえなくなっていました。

「子指の音を意識して聞こえるようにしましょう」では、なかなか聴こえてくるようにはなりません。もちろん、メロディーを意識することは重要な第一段階です。

でも、私自身が受けてきたレッスンを振り返っても、そこで終わっている場合が多かったように思います。

手をどのように使えば、メロディーが浮かび上がるように弾けるのか、ということを示していく必要があります。これがレッスンの重要なポイントです。

手首の位置、手の傾け方、手を鍵盤に入れる時の方向、小指の支えの作り方。こういうことを確認していきます。

歯切れの良い音色にしたい時

同じ「お菓子の世界」の中のチョコバー。こちらでは、フォルテの響かせ方です。メゾピアノから始まり、フォルテまでだんだん強くなっていく。

せっかくですから、同じ音色が並ぶのではなくて、音の色合い、響きも変わっていくと、より魅力的です。

こちらも、手の使い方を話しました。指を伸ばして、支えを意識して斜め奥に入れていく。この手の使い方をすると歯切れの良い響きのフォルテが出ます。

もちろん、肩、肘の使い方も大切です。力がしっかり鍵盤にのるようにします。

自分の引き出しを増やす

私自身の引き出しがどれくらいあるか、ということはレッスンの質に関わってきます。

先日のガブリーロフに一緒に行った、大学時代の先輩でもあり今は同門でもあるピアノの先生も「自分が勉強することで、レッスンが変わったのよ。」と言っていましたが同感です。

どうしたら、自分の持つイメージが表現できるようになるのか?どうしたら、ほしい音が出せるようになるのか?どう手を使ったら弾きやすくなるのか?

それをできるだけ「具体的」に教えることができるようになること、これが大切だと考えて、また私もしっかり勉強していきます。

設計図を書くみたいな感じですね

大人の生徒さん。技術者として、お仕事をなさっている方が、先日のレッスンでこんなことをおっしゃっていました。

芸術は感性が重要だと思っていた

発表会に向けて、とても熱心に練習していらっしゃいました。まだ始めて間もないので、今回は連弾曲ですが、両手の動きのある曲にチャレンジです。

左右1オクターブ違いで同じメロディを演奏する部分の右手ですが、指遣いが良くなかったため、フレーズの途中でポジションを大きく移動することになり、途切れてしまっていました。

いっしょに楽譜を見ながら、「このミは1回めは3の指を使うけれど、2回目は4の指を使って、こう動いていくと途切れません。」とゆっくり確認していきました。

「なるほど。らくに繋がりました。」「指遣いをそれほど意識していませんでしたが、こうやって追っていくと、きちんと弾けるのですね。」

「芸術は感性が重要だと思っていましたが、技術者が設計図を書くみたいなこういう部分があるんですね。」

そうです。もちろん、「感じること」がとても重要であることは間違いありませんが、実は、計画的に行う部分もたくさんあります。

特に指遣いは大切

特に指遣いは大切だと私は考えています。それは、私自身の手が小さいことも理由としてあるかもしれません。

外国版の楽譜の場合、特に多いのですが、「この部分、この指遣いで弾けるの?」と感じることがあります。

また、ゆっくり確実に弾く練習は欠かせませんが、そのときも、指遣いを書き込んであると、常に同じ指遣いで練習することができます。

実は、書き込まずに練習していた時、ゆっくりの練習の時と、テンポを上げて弾いた時の指遣いが違っていて、練習の意味がなかったことがあり、それ以来、指遣いは、最初の段階で書き込むことにしたのです。

レッスンに来ることで分かることがある

「今日、レッスンに来て、どこに問題があるかということと、解決方法がよく分かりました。」と言っていただきました。

同時に、音の出し方をレッスンしている中で、「奥が深いですね。」という感想もおっしゃっていました。

レッスンを始めてから3ヶ月。着実にご自身でも成果を感じています。何よりも、短期間に両手で弾けるようになってきました。

音を楽しむ「音楽」。レッスンに来ることで、近道が分かる部分がたくさんあります。同時に、奥深さを感じる部分もたくさんあります。

だからこそ、楽しい。だからこそ、ずっと続けられるのだと思います。

「一生の趣味にしていきたいです。」とおっしゃって帰っていかれました。お手伝いができて、本当にうれしく思っています。

2019.07.02

「そこに存在するだけ」の音

昨日は自分のレッスンに行ってきました。音色の変化、違いというものについて、大きく学ぶものがありました。

バッハのフランス組曲4番。最初のアルマンド。練習で弾きながら「ここはこういうイメージを作りたい」と 音色について自分なりに考えて、レッスンに持っていきました。

そこに存在するだけの音

実際に先生のピアノで弾いてみると、家で練習したのとはまた違う感覚があります。

ピアノの響き方が違います。フルコンで、年数もある程度経っていて、本当によく鳴りますし、繊細なタッチにすべて応えてくれる楽器です。

だいぶ工夫していったつもりですし、後半の高音で始まる部分は、静かに静かに響かせたい、そして最後の部分は厚みのある温かい音、チェロの低音のような響きがほしいと思っていました。

私が1回弾き終わると、先生が「後半、こんな感じだとどうだろう?」と弾いてくださいました。

その響きを聴いた時、「静謐」という言葉が頭に浮かびました。静かで穏やかで本当に美しい。

「高音を弾いた時に、指を動かすと、響きが上がるけれど少し広がっていきます。これはほんとうに置くだけ。結果として、『そこに存在するだけ』の音が出ます。これは、弾く人も聴く人も非常に緊張感が必要になる音です。」

もう一度弾いてくださいました。「今、1段目は置くだけ、2段目はほんの少し動かしています。」

手首の力が抜けると響きが変わる

後半の2段。私の音は何だか薄い感じがしました。「もっと温かくて厚みのある音にしたいのですが、何だか薄くて。」と伺うと、「もう少し腕の重みを乗せてみたら?」ということでやってみました。

音は大きくはなりましたが、なにか違います。「もう少し回転させてみたら?」ということで、あれこれやっていたのですが、回転を意識しているうちに、ふと手首が固まっていることに気づきました。

ポジションを上げること、腕の付け根からひじまでの下側の筋肉を意識することに目が向いていたため、手首が固まっていました。

気がついて、手首の力を抜くと、響きそのものが大きく変わりました。

自由で豊かな表現を目指す

自分でイメージを作る時に、自分の持っている範囲で色をつけようとします。先生の音を聴くと、「もっとこんな色もある」「もっとこういう色合いもある」ということを毎回感じます。

ちょうど、12色の色鉛筆と500色もある色鉛筆の違い、さらに、色鉛筆よりももっと繊細にグラデーションがつけられる水彩画との違いです。

一昨日のガヴリロフの演奏もそうでしたが、1つ1つの音、そのものの幅をどれだけイメージでき、実際に演奏で表すことができるか。

そこにかかってくると、改めて思いました。自分でももっと自由な、もっと豊かな表現ができるようになりたい。

今週はそれを課題にしていきます。

2019.07.01

アンドレイ・ガヴリロフリサイタル

昨日は、横浜までアンドレイ・ガヴリロフのリサイタルを聴きに行ってきました。

実は、なかなか言葉が出てきません。

どうしてだろう、とずっと考えていました。そして、ようやく、言葉ではない部分、言葉にならない部分で受け取ったものが多すぎて、言葉が出てこないのだということに、気が付きました。

一つ一つ、「批評する」ように書くことも、時には必要かもしれません。でも、あの演奏を聴いて、分析して批評的にあれこれ書くことに何の意味があるのだろう?と思いました。

ただただ「すばらしいものを聴いた!」という感動だけです。

どれほどの音色があるのだろう?ほんとうにさまざまな音が聴こえてくる。語りかけてくるような音、悲しげな音、楽しそうな音。1音ずつがほんとうに生きて意味を持っている、という感じ。

フォルテの時には、聴こえてくるだけではなく、響きが直接伝わってくる感じ。

音楽が一つの宇宙として、無限の広がりをもって感じられる、あの響きを直接聴くことができて、ほんとうに幸せでした。

あまりにすばらしくて、会場を立ち去り難く、並んでプログラムにサインしていただき、握手もしていただきました。

とても大きくて厚い手。この手からあの素晴らしい響きが出てくるのだと、また感心。

このプログラムは宝物です。

最後に、大阪のホールのチケット販売ページに掲載されてた御本人の文章の一部をご紹介します。

  音楽に対する私の新たなアプローチは、直観的経験の積み重ねでアマチュア的になされてきた解釈方法を、 科学的レベルまで発展させるものです。
 科学的な研究により楽譜の奥に潜む作曲者の相貌にせまります。
  つまり、作曲家の心理や動機を社会的、文化的、知的側面から真摯に解剖していくのです。
  哲学、人類学、心理学、音楽心理分析、絵画、文学、詩など、 あらゆる人文科学を統合して広く深く学び知ることにより、唯一無二な真の音楽芸術の理解に到達することができるのです。

こうして音楽の中にある作品内容が隅々まで明瞭になった時、作曲家の意図に合致した音楽性を伴う新たな演奏レベルが生まれます。音楽が、一音一音聴衆に語りかけ始めるのです。
  音楽自らが、自分の中に作曲家が何を置いていったのかの全てを話してくれて、音楽が生きたものとなるのです。このような演奏は音楽芸術が新しい意義を持つことを示し、深く理解することの大きな喜びをもたらし、世界中の文化水準を上げることでしょう。

 私の現在の課題は、広く多くの方々に、音楽言語を認識し表現するこの新たなメソッドをお伝えすることです。
 日本は、私がこのメソッドを聴衆に披露する最初の国の一つです。
 聴衆の皆様に是非、シューマンやムソルグスキーの思考を私の演奏を通して理解し辿っていただきたいです。音楽芸術への理解の新たなステージが開かれ、聴衆の皆様にも届くものと信じています。

http://www.kojimacm.com/digest/190704/190704.html

2019.06.30

2019年前半を振り返る

今日は6月30日、ちょうど2019年が半分終わったところです。ちょうど節目の日なのでこの半年を振り返り、残りの半年の目標をまた設定していきたいと思います。

「振り返る」というのは、節目節目で行っていくと自分自身のあり方がよく分かります。

今年の目標の進捗状況は?

1月に書いた目標には、次のようなことを書きました。進捗状況を書いてみます。

ピアノ教室としての抱負・目標 について

・生徒さんの音楽面、技術面の向上のために、自分の指導力をさらに磨いていく。
→自分のレッスンに継続して通うこと、指導のために本や動画で勉強しています。

・発表会を開催する
→8月に開催する予定で、準備を進めています。

・奏法についてブログでの発信を充実させていく
→こちらも継続して行っています。「充実度」を示すのが何か、よく考えていませんでしたから、回数だとしたら、少し少なめかもしれません。後半で、奏法についての発信回数を増やしていきます。

・動画をアップし、こちらでも発信していく
→これがあまり進んでいません。まだ1本ですから、後半の課題です。

自分自身のこと について

・指・腕・身体の使い方についてさらに学び、より美しい響きを見つけていく
→継続してレッスンに通い、さらに美しい響きを学び、意識して練習中です。

・4月の「葵の会」定期演奏会に向けて、今年は伴奏と作品発表という新しいチャレンジをしていく。
→無事、終わりました。歌詞のある「歌」の勉強をしたことで、音楽の感じ方が今までと変わってきた部分があり、とても勉強になりました。

・11月の先生の門下発表会に参加し、こちらもまた新しいことに取り組んでいく
→これは後半です。「新しいこと」には少しずつ挑戦中ですが、発表会に間に合うかどうか、今の段階でわかりません。

・Ray Lev先生の楽譜の中から、日本であまり紹介されていない曲を中心に取り組んでいく。
→こちらは、まだ取りかかれていません。後半の重点事項です。ただ、発表会までは、そこに注力していきたいので、8月以降の課題になります。

節目ごとに振り返り、次の段階を考えていく

こうやって振り返ると、後半に重点的に取り組んでいく課題が見えてきました。

今は8月の発表会が最優先です。その軸をしっかり持ちながら、他の目標に取り組んでいきます。

特に、動画を増やすことは後半の大きな課題であると考えています。

1つずつ、今の自分にできることを着実に進めていきます。

2019.06.29

「習慣化」の意味

ふと気がつくと、このブログへの投稿も500記事を超えていました。1週間に5~6回のペースで更新しています。だいたい、朝、書くようにしているのですが、時には時間が遅くなることもあります。

「習慣化」はピアノの練習にも通じることですが、改めて「継続することの意味」を考えてみました。

生活リズムが決まる

習慣化すること、毎日同じ生活リズムで過ごすこと。これはとても大切だと感じています。

幼稚園や学校に行っているお子さんの場合には、「学校に行く」時間というのは、基本的に決まっているわけで、この場合は「それ以外の時間をどう過ごすか?」ということになっていきます。

私の場合には、朝、ブログの更新と掃除から1日の生活を始めます。ブログを先に書き始めるのですが、それに詰まる時もあって、そういう時は途中で一旦やめて、掃除をしてからまた続きを書いていきます。

掃除をして身体を動かしていくと、ブログの内容も違う視点から考えられるようになって、スムーズに書けるようになる。そんな効果もあります。

どちらにせよ、1日のスタートは「これ」というのが決まっていると、スムーズに始められるようになります。

優先順位が決まる

小学生の場合、3時過ぎの帰宅から8時~9時の就寝まで、約5~6時間。長いようで意外に短いですね。

その中でどう過ごしていくか?意識していくことが大切になっていきます。学童保育に通っているお子さんの場合は、もっと短くなります。

宿題もあります。生活に必要な食事や入浴の時間も必要です。お手伝いもあります。外遊びもしたいし、テレビも見たいし、場合によってはゲームもしたいかもしれません。

その中で、何を優先して考えていくか。それを自分でしっかり分かっていることがとても大切になります。

私の教室に来る生徒さんの多くは、ここをきちんと考えられているので、感心しています。

学童保育に通っているお子さんの場合は、「朝、練習します。」「夕食の片付けをしたら、すぐ練習します。」とお家で過ごす時間が短い中、工夫しています。

他のお子さんも、「学校から帰ったらすぐ練習します。」「宿題をやったらすぐ練習します。」など、それぞれしっかり考え、練習の優先順位が高くなっていて、これはうれしい限りです。

習慣で動く部分はとても多い

毎日の生活の40%が習慣だという研究があるそうです。人によってはもっと高い割合だと言っている人もいます。

ですから、「どんな習慣をつけていくか?」というのは、長い目で見た時にはとても大きな差になっていきます。

せっかくなので、自分にとって良い習慣、プラスになる習慣をたくさん作っていきたいですよね。

私自身も、「ブログを書く」習慣は、定着しています。また他の習慣も定着させるべく、1つずつ積み上げていこうと思っているところです。

忙しいけどピアノも頑張る

一般的に、中学生は、小学生よりも忙しいかもしれません。まず部活動。基本的に完全下校時刻が今の時期だと夕方6時ですから、そこまでは学校にいます。

行事も生徒が企画して放課後の時間を使っ準備していきますから、学校にいる時間がとても長い生活になります。

ピアノは良い気分転換

レッスンに来ている中学生も、とても忙しそうです。

吹奏楽部に入ったので、「この前の日曜日は1日部活だった」とか、「先輩たちが演奏するから、楽器運びでホールに行ってきた」とか、部活動の話題も多いです。

5月には体育祭もありました。近隣の学校は5月に行うことが増えてきましたが、1年生は入学してまだ間もないので、体力的に大変かもしれません。

塾に通うと、塾の宿題もあります。英検対策があり、英検も受けます。中間テストに期末テストの日程…。

話を聞いていても、充実感が伝わってくる反面「忙しそう」という思いもありました。

そんな中で、小さい頃から続けてきたピアノもきちんと練習しています。発表会に向けて譜読みをし、曲の最後まで弾けるようになってきました。

「ピアノは良い気分転換になっているようです。」とお母様もおっしゃっていました。

確かに、勉強での頭の使い方と、ピアノでの頭や身体の使い方は全く違います。好きなことでもあるので、良い気分転換になります。

ありたい自分の姿をイメージする

自分自身の時間の使い方、過ごし方を考える上で、ありたい自分の姿をイメージすることはとても重要です。

このありたい自分の姿のイメージは変わっても良いのです。中学生なら、多くの場合、変わっていくでしょう。

ただ、その時点での「夢」「希望」を持っているということ、そしてその夢や希望にに向けて今の自分の行動を考えていくこと、そのものが大切です。

先程の生徒さんの場合、自分の5年後のイメージをはっきり持っています。こういう仕事に就きたいから、大学でこういう勉強をしていきたい、というイメージです。

だから、今、忙しくてもそれを「充実感」ととらえ、楽しみながらせいかつすることができる。ピアノも好きだし、こういう曲を弾いてみたい、という目標もあるから練習できる。

それが今の段階でできているというのは、とてもすばらしいことだと考えています。

10年後をイメージしてレッスンする

去年今年にピアノを始めた、幼稚園生、小学生にとって、こういう中学生の存在は、自分の未来の姿を考える1つのモデルになります。

ピアノのレッスンで幼稚園生や小学校低学年の生徒さんに関わらせていただくということは、短くても6~7年、長ければ10年以上のお付き合いになります。

私自身も、中学生のこの頑張る姿、そして、中学校教員時代に見てきたたくさんの生き生きとした中学生の姿を思い描き、10年という単位で、5~7歳の生徒さんに接しています。

音楽を通して 豊かな「感性」と表現力を身につけること。練習の習慣をつけることを通して「勤勉さ・誠実さ」を身につけること。

さらに、「やればできる」という自己肯定感を、体感すること。

生きていく上で大切なこれらのことを身につけていく。そんな姿を思い描きつつ、日々レッスンをしています。

2019.06.27

アルプスの少女「ハイジ」を読む

本屋さんで「100分de名著」という番組のテキストを見かけ、今月は「アルプスの少女ハイジ」が取り上げられていたので、もう一度読み直したくなりました。

本は家にあったので、あらすじはよく覚えているのですが、抄訳だったのでしょう、今回読みなおして、いろいろな発見がありました。今回私が読んだのは、「偕成社文庫 完訳版ハイジ1・2 ヨハンナ・シュピーリ作 若松宣子訳」です。

小学生のお子さんにも、大人の方にもぜひ読んでもらいたい、優れた作品だと思いました。

純真さ、気持ちを率直に表すこと

何よりも心に残ったのは、ハイジの純真さ、素直さ、そして自分の気持を率直に表すことでした。

だからこそ、人とすぐにつながることができる。「人嫌い」だったはずのおじいさんとも、ペーターとも、ペーターのおばあさんとも。

そしてフランクフルトに行ってから、そこで出会ったクララや召使いのセバスティアン、クララのおばあさまたちともそうです。

一方、「形」にこだわるロッテンマイヤーさんにとっては、それがとても怖いことであり、受け入れることができないことなのです。ですから、その率直さをとがめられ、辛い思いをすることになります。

「本を読んで泣きわめいたりしたら、本を取り上げて返さない」と言われてしまいます。

ハイジは本を読んでもけっして泣かなくなりました。が、それはたいへんなことでした。気持ちをおさえて、泣かないようにするのに、とても努力しなくてはならなかったのです。

(途中略)

ハイジはほとんどなにも食べなくなりました。夜になってベッドに入ると、とたんにふるさとのできごとが目にうかび、家を思って、だれにもきかれないように、まくらに顔を押しつけて、静かに泣きつづけるのでした。

偕成社文庫 完訳版ハイジ1 ヨハンナ・シュピーリ作 若松宣子訳

おじいさんのところに戻って「息もできなくて、とても苦しかった」と振り返っています。

人を思いやる気持ち

ハイジはいつも他の人のことを思いやる気持ちにあふれています。目の見えないペーターのおばあさんのことをいつも気にかけ、優しく接します。それも、とても自然に。

ハイジが自分自身の気持ちに率直であるからこそ、他の人は心を開いて自分の気持ちを率直に伝えられます。そしてハイジはそれを相手の身になって考え、良かれと思うことを、また率直に行動に移していきます。

フランクフルトからスイスに戻ってからの描写に、特にそれが表れています。お金をどう使うか。ペーターのおばあさんにパンを買ってあげる。

作者自身が信仰の篤い人だったのでしょう。それが随所に表れていますが、おじいさんにも信仰の大切さを伝え、おじいさんが教会に出かけるきっかけを作ります。その結果、おじいさんは村の人々に受けいられるようになるのです。

お医者さんのクラッセン先生。娘を亡くして悲しみで心がいっぱいになって、山を訪れた先生も、自分の悲しみを(遠回しに)ハイジに話し、そして自然の力とハイジやおじいさんとの関係の中で癒されていきます。

そして、言うまでもないクララ。山の自然の力だけではなく、ハイジやおじいさんが自然との適切な橋渡しをしてくれたからこそ、都会の中で押し込められていたものが開放され、歩けるようになっていきます。

時代を超えて

この本が出版されたのは1880年。今から140年も前のことですが、時代を超えて今の私達に訴えるものがたくさんあります。

作者シュピーリの人間への愛情があるからでしょう。同時に、人間を多面的に見る観察眼の鋭さもあちこちに表れています。

今回読み返してみて、子供時代に読んだ時と大きく違うのは、育てる側の人、特にクララのおばあさまの人物像がとても印象に残ったことです。これは、私の年齢からすれば当然のことですね。

人を包み込む温かさ、そして人の本質を見抜いた上で、その人に合わせて大切なことを示していく姿。一つの理想的な大人の姿が描かれています。

また、都会の中で「作法」や「仕事」で心に壁を作る人の姿が描かれていて、それは、今の日本ではその状況がさらに進んでいます。これも、一つの大きな視点を与えてくれました。

読書は、さまざまな気づきを与えてくれます。今回も、とても楽しい一時をすごすとともに、いろいろ考えるきっかけも与えてもらいました。

2019.06.25

投げる感覚

昨日は、都内までレッスンを受けに行ってきました。

昨日のレッスンでは「手を鍵盤に投げる」という感覚を教えていただきました。同時に、タッチの工夫についてもまた、教えていただくことで、自分の感覚を更新することができました。

手を鍵盤に「投げる」

先生のブログで、ホロヴィッツやアルゲリッチのやっていることとして、「手を鍵盤に投げ」ていることを挙げています。

支えるべき所は支えているが、同時にそれ以外の部分は脱力して固めていない。それどころか、手を鍵盤に投げている。一般的な奏法は鍵盤に手がしがみついているが、それとは真逆。自由に投げて、つじつまを合わせている程度のコントロールの仕方だと思う。

大野眞嗣「ロシアピアニズムをつぶやく」6月20日「投げる」より

この「投げる」感覚で弾こうとすると、今までよりもさらに高いポジションに手を置いて、そこから弾くときだけ降りてくる感じになります。

実際にやってみると、ポジションを上げているつもりだったのですが、まだ低かったことがつかめてきました。

さらに、手首を上げる時、手首の下側の筋肉を使って下から支えて上げるのか、上側から引っ張って上げるのか、という身体の使い方の違いでも、響きは大きく変わってきます。

私の場合、速いテンポになるとどうしても上から引っ張っている身体の使い方になってしまいがちです。

見た目の位置は同じようであっても、上から引っ張って手首の位置を上げる身体の使い方をしていると、響きが薄いものになってしまいます。

昨日もクーラントでその状態になり、テンポを落として落としてゆっくり弾くことでようやく感覚がつかめてきました。

タッチの工夫

同時にタッチの工夫についても、改めて学ぶところがありました。

アルマンドとクーラント。舞曲の性格の違いをはっきりさせるためにタッチを大きく変えていく。

クーラントでは、ホロヴィッツが多用する指を伸ばしたタッチを使っていくことで、音の性格が変わり、軽快な感じが出てきます。

実際に先生が弾いてくださって、イメージをはっきりとつかむことができました。

自分で弾いてみると、コントロールが難しい。手の内側の筋力が違うので、思うようにいかず、ストンと落ちてしまったり、響きが思うほど上がらなかったり、とちょっと時間がかかりました。

音楽に対する姿勢

レッスンで先生と話していたり、弾いていただく一節から、芸術に真摯に向き合い、ピアノを心から愛していることが伝わってきます。

だからこそ、同じ曲をいろいろなタッチで弾き分けたり、さらにどんな工夫があるのだろうか、と考えることができる。

レッスンに行くことで、ロシアピアニズムを学ぶだけでなく、音楽への姿勢やピアノへの愛情に触れ、影響を受けていることを感じます。

音楽という芸術の広さ、深さを、より感じることができます。

「僕自身、アップデートしているからね。」と昨日もおっしゃっていましたが、先生のアップデートについていくことで、私自身もアップデートし、自分の音楽を深めていきたいと考えています。

2019.06.23

楽譜が読めるようになった

3月に入会した生徒さんがいますが、ピアノを始めて4ヶ月。2人とも、楽譜を読むことに慣れてきました。

楽譜が読めるようになると、自分で新しい曲を弾くことができるようになり、より楽しくなってきます。

最後まで自分で弾いてきた

1人の生徒さんは小学校1年生。発表会にも参加する予定で、頑張って練習しています。

1曲めの「森のくまさん」は、5月に決めて、練習していました。もう1曲の「手をたたきましょう」を、先週決めて、練習を始めました。

先週のレッスン中に、曲決めと、前半部分の譜読みをしました。今週は、後半と思っていたところ、生徒さんが「最後まで弾いてきた!」とのこと。

聞かせてもらうと、最後まで音もリズムも正しく弾けていました。

もともと、リズム打ちはとても得意。音符からリズムを感じることができていました。

音符の読み方も、ずいぶんスムーズになっていましたが、ヘ音記号が少し苦手のように感じていました。でも、今回、自分一人の力で、頑張って最後まで楽譜を読んできたのです。

「頑張ったね!」と言うと、うれしそうでした。お母様も「楽しいようで、家に帰るとすぐ練習しているし、朝も弾いています。」とおっしゃていました。

さっと弾ける

もうひとりの、幼稚園年中の生徒さん。やはり、4ヶ月がたち、音符を読むことに慣れてきました。

「まいぴあの1」が終わった段階で、いろいろな状況を考え、「ピアノひけるよ!ジュニア1」を始めることにしました。

最初のうちは、今まで習ってきたことと重なる部分もとても多くなります。実際に、教本を開いて始めてみると、ト音記号の部分は音符もしっかり読めるし、ピアノもリズムを感じながらすぐ弾けるようになりました。

ヘ音記号は、音域がちょっと違うので、最初とまどっていましたが、こちらもじきに理解して弾けるようになりました。

聴いていたお父様もお母様もびっくりしていました。「自分で全部音符を見ながら弾けています。」と言うと「この短期間で、こんなに弾けるようになっていたのですね。」とほんとうに感心していました。

ピアノが楽しいと思える

二人とも、とても楽しくて、お家でもよく弾いているそうです。

そして、音符の意味が分かったので、新しい曲についても自分で楽譜を見ながら弾けるようになってきて、それもまた楽しい。

「その曲が弾ける」ことと、「その曲を通して学ぶ」その2つを意識しながらレッスンしていくことで、他の曲に応用できる力がついてくるのです。

二人とも、頑張って練習しているので、またこれからがとても楽しみです。